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東京高等裁判所 昭和54年(ネ)746号 判決

以下は、判例タイムズに掲載された記事をそのまま収録しています。オリジナルの判決文ではありません。

【判旨】

(五) ところで、被控訴人の主張する本件係争地の境界は、<証拠>によれば、別紙図面(一)表示(以下右図面に表示された公道をそれぞれ「甲公道」、「乙公道」、「丙公道」という。)の甲公道のほぼ西方に直線で延びる乙公道の北側境界線を東方に一直線に延長した線となると解される。そして、<証拠>によれば、松戸市役所保管土地台帳付属地図及び千葉地方法務局松戸支局備付公図においては、八四〇番二〇、目録六土地の各土地と目録二土地の境界、目録三ないし六土地の各土地と目録一土地の境界は、甲公道の北側と八四〇番二〇の土地の南側境界を一直線に東(やや北)方向に延長した線と表示されていることが認められる。しかし、<証拠>によれば、松戸市が昭和二八年作成した地形図においては、本件農道が表示されているが(右農道が本件係争地の境界に位置していると認められることは前叙のとおりである。)、これが甲公道の北側と八四〇番二〇の土地の南側境界を一直線に延長した線上に位置すると表示されているかどうかはにわかに断定しがたいこと、<証拠>によれば、前記松戸市が作成した地形図のうち本件係争地域は、アメリカ合衆国極東空軍が昭和二二年一一月二八日撮影した航空写真を基にして作図されたものと推認されるところ、右写真を基に作図された二五〇〇分の一の松戸市の都市計画図を基にこれを約六〇〇分の一に拡大して作成した図面によると、当時の本件農道の北側法の線は、甲公道北側法の線を一直線に東(やや北)向に延長した線上に位置するとはいえないことが認められる。また、前示付属地図(丁第三号証)及び公図(丁第一六号証)が何時ころ作成されたものであるかは必ずしも明らかでなく、これには本件農道の表示はないが、昭和二二年一一月当時の本件農道の位置が右付属地図及び公図に表示された本件係争地の境界線上に現に存しないことは、前記認定の事実より明らかである。

そして、右農道が本件係争地の境界に位置していると認められることは前叙のとおりであり、これが長年月の間にその位置を移動したと認めるに足りる証拠もない以上、前記付属地図及び公図の本件係争地の記載がその現況と正確には符合していなかつたものと認めざるをえない。

(六) 一般に、土地台帳付属地図、公図など公に作成された地図については、みだりにその正確性を否定すべきものでないこと勿論であるが、村落の中心部でないような場所(<証拠>によれば、本件係争地付近は少くとも昭和二二年一一月以前においては村落の中心部とは認められない。)などにおいては、多少屈折した線を直線として表示するなどその表示に多少の単純化がされていると認められることはわれわれの経験するところである。現に、<証拠>によれば、松戸市が昭和二二年一一月当時の現況を基にして昭和二八年作成した前記地形図においては、甲公道は乙公道から丙公道を東西に横断してほぼ一直線に東方に延びているように表示されているが、<証拠>によれば、甲公道はすでに昭和二二年一一月当時において乙公道と丙公道が交差する地点において乙公道から直線状に東進せず、やや南方向に屈折した状態であることが認められる。してみれば、松戸市作成の前記地形図の記載は、当時の本件農道、甲公道の現況と正確には符合せず、むしろ多少の屈折した線については右屈折を略し単純化した直線として表示しているのではないかと推認されるところである。

したがつて、前示付属地図、公図の記載から、本件係争地の境界が被控訴人主張のように甲公道のほぼ西方に直線に延びる乙公道の北側境界線を一直線に延長した線であるとすることはできない。

(七) 本件係争地の境界に関する原審証人石川泰一の証言も、前掲付属地図、松戸市作成の地形図などを基にして本件係争地の境界について述べるものであつて、甲公道と乙公道の位置関係などについて現況と異なる供述部分があり、これをただちに採用することはできない。また、原審証人川島才一郎(第一、二回)、同西野藤治の各証言も本件係争地の境界に関しては前示土地台帳付属地図(丁第三号証)を基にして判断していると認められることにかんがみて、ただちにこれを採用することはできない。

(村岡二郎 宇野榮一郎 川上正俊)

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